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「純ちゃん、学校……行くべ?」

「……うん」

あれからも、のどか姉さんは俺と学校に行くのに誘ってくれた。

しかし、通学途中……

「…………」

「………………」


 あの日、俺が思わず手を払いのけてしまってから、なんとも気まずい沈黙が俺たちの間に流れるようになった。

のどか姉さんは、もう手を繋ごうとしてくれなかったし……

俺の方から手を繋げばいいのかな? と思ったりもしたが、それも恥ずかしいし、
もし俺の勘違いだったら恥ずかしいじゃ済まないことになるし……

つまり、どうすればいいか全然分からなくなっていた。

(……ったく、嫌いじゃないって言ったのに)

 沈んだ顔ののどか姉さんを見ると、俺まで気持ちが暗くなる。

一言俺が『ごめんね』と言えばそれで済むのに……

素直にそれができれば苦労しないガキの頃の俺だった。



「それじゃ……また明日ね? 純ちゃん」

「うん……」


 のどか姉さんと、俺の家の前で別れる。

 俺の方が年下だから、こうやって毎日毎日家の前まで送ってくれるんだ。

俺は男で、ケンカにも自信あるから、のどか姉さんを家まで送ってあげたいのに。

「俺、もう子供じゃないから」

「……うん? どうしたの? 純ちゃん」

「家まで送ってくれなくてもいいよ」

 だーかーらー! と自分の中でつっこむ。

 なんで素直に「明日から俺がのどか姉さんを家まで送ってあげる」って言えないんだろう。

ねじ曲がってねじ曲がって、またのどか姉さんを傷つける台詞を吐いてしまう。

「そっか……ごめんね……」

 元気のなくなったのどか姉さんの背中が帰り道にトボトボと消えていく。

(あーー! もう!)

 自分の頭をガシガシと掻きむしる。
その頭を後ろから、大きな手で軽くコツンと殴られる。

「ダメじゃないか。ケンカでもしたのか?」

 振り向くと、お父さんが心配そうに俺を見ていた。

「そ、そんなんじゃないけど……」

 のどか姉さんに悲しそうな顔をさせてしまった……
それが後ろめたくて、俺はお父さんの顔を見られずプイッとそっぽを向いて答えた。

「お母さんも心配してたぞ。最近、のどかちゃんと純の様子がおかしいって」

「…………」

「ほら、ちゃんとこっち見なさい」

「……う、うん……」


 ちょっと恐い顔をしたお父さんの目を見る


「ケンカじゃ……ないんだな?」


 コックリと頷く。
ケンカじゃない……それは本当だ。

 すると、お父さんの顔は、元の優しい顔に戻り、

「ふふ、なるほどな。そういうことか」

「そういうことって?」

「いや……純も、そういう年頃になったかって思ってな」

「そ、そういう年頃って……?」

「好きな女の子に、素直になれなくて、意地悪してしまう年頃だな」

 な……な……な……

「す、好きとかじゃないよ!」

「わはは。そうかそうか、うんうん」


 何が嬉しいのか、お父さんの顔は、この上もなく上機嫌な笑顔だった。

 こんな笑顔、村祭りで酔っぱらったときしか見たこと無い。

「本当に好きとかじゃないのに……」


「ごめんごめん。からかって悪かったな」

 そう言って、頭をクシャクシャっと撫でてくれる。

「純は男の子で、のどかちゃんは女の子だ。今、純はそれに気がついて、戸惑ってるだけなんだな」

「それ、どういう意味……?」

「はは、ちょっと難しかったかな? つまり、純にはオチ○チンがついていて、のどかちゃんにはおっぱいがある。
それに気がついて恥ずかしくなってるってことだ」


 な、なんで分かるの? と思わず聞き返しそうになって、なんとか口をつぐむ。

 そう……たまたま、覗き見てしまった、のどか姉さんのおっぱいのおかげで、俺はおかしくなってしまった。

「たしかに恥ずかしくてたまらないと思うけど、この恥ずかしさは悪いことじゃないんだぞ?」

「そ、そうなの?」

「ああ、恥ずかしくないほうがおかしい」


 ……ちょっとホッとした。
俺、おかしくないんだ……。

「いいか? 純」

 また真面目な表情に戻って……

「人を好きになるのは、ちっとも恥ずかしいことじゃない」

「……」


 だから、好きとかじゃないんだってば……。


「一番男の子として恥ずかしいのは」

「恥ずかしいのは?」

「好きな人を傷つけることだ」


 ……だから、好きとかじゃないんだけど……

 だけど……

 のどか姉さんが悲しい顔をすると、俺も胸の奥がジンと痛み悲しくなる。

 嫌いじゃないのに。嫌いじゃないのに。

「おまえが、もし、のどかちゃんに同じ態度を取られたら、どう思う……?」

 想像してみるまでもなく……すごくイヤな気持ちになると思う。

「ずっと仲良しだったのに、なんで……? って落ち込むんじゃないかな?」

「……うん……」

 今の俺は、一番恥ずかしい男の子になってる……それをお父さんは言いたいのだろう。

 そして、俺も、今、心の底からそう思う。
サイテーな男になりかけている。

 そうだ……のどか姉さんのおっぱいのせいばかりにしていたが、違う。
おっぱいのせいじゃない。
のどか姉さんは、俺に見せたわけじゃなく、勝手に俺が見て、勝手におかしくなったんだから、俺が悪い。

 俺が……悪い。

「……俺、謝ってくる」

 お父さんに背を向け、走り出す。

 目指すは、のどか姉さんのお家だ……。





「あら、純ちゃん、こっちの家に来てくれるの久しぶりだねぇ? 元気だった?」

 のどか姉さんのお家で出迎えてくれたのは、おばさんだった。

「元気でした。……ところで、のどか姉さんは?」

「今日は、まだ帰ってないみたいだけど……変だねぇ」

「そうですか……。それじゃ!」


 のどか姉さんのお家からきびすを返して、また走り出す。

 ……なんかざわざわとイヤな予感がする。

 なんで、まだ帰ってないんだろう……。

 俺が意地悪したから、途中で泣いてるんだろうか……?

 それとも事故なんかに遭ってなかったらいいけど……。

 走る……走る……走る……。
 のどか姉さんがいそうなところを片っ端から探す。

 だが、なかなか見つからない。
この時ほど、俺が住んでる街の広さを恨んだことはなかった。

(ごめんね……ごめんね、のどか姉さん……)

 走る走る走る。
 のどか姉さんを捜して。


 そして、太陽の頭が地平線の向こうに沈みかけた真っ赤な時間……


 のどか姉さんは…………いた。

 のどか姉さんは泣いていた。

 数人の男子に囲まれて……

「小池〜ケチケチしないで、おっぱい見せてくれよ」

「おまえ、ブラ着けてるのか?」

「裸になって見せてくれよ」

 そんなことを言われ、泣いている。

 俺の血が一気に逆流した。

「イヤ……イヤって言ってるじゃない……」

「なんだよ、見せてくれるくらいいいじゃないか。むかつくなぁ」

 相手は、のどか姉さんと同級生……つまり、俺にとって上級生。

 まず、まともな神経のときなら恐くてケンカなんかしようと思わなかっただろう。

 しかし、今の俺は心底むかついている。
のどか姉さんを泣かせたあいつらが許せない。

 それは、のどか姉さんに悲しい顔をさせた自分へのムカツキでもあった。

「ちょっと待てよ……」

 奴らの背後から声をかける。

「……んだぁ? おまえ」

「こら、チビ。あっち行っとけ」

 震えそうになる足を踏ん張りながら、奴らの間に強引に割って入る。

それから、とおせんぼをするように両手を広げ、のどか姉さんを俺の背中の後ろにかくまう。


「あっち行くのは、おまえだ。消えろ」

「なんだとぅ……」

「……純……ちゃん……」


 よほど恐かったのだろう……やっと、俺の存在に気がついたのどか姉さんが、震える声を絞り出した。

「怪我しないうちに、家に帰りな」

 一番体のでかい男が、俺に顔を近づけてすごみながらそう言う。

俺はその隙を見逃さない。
近づいてきた顔に向かって、思いっきり頭突きを見舞ってやった。

「ぐは!」

 もんどりうって倒れたでかい男。
他の奴らも度肝を抜かれたのか、あわあわと慌てている。

「あいたた……の、のどか姉さんをいじめるヤツは、この俺が許さない!」

 脳天がジンジンと痛む。
カッコつけたはずが、あまり格好良くないかもしれない。

「じゅ……純ちゃん、ケンカはダメ……」

「これはケンカじゃない! こいつら、よってたかってのどか姉さんをいじめて、裸にしようとしてたんだから、殴ってもいいんだ!」


 もう無茶苦茶な理屈である。

「この野郎……調子に乗りやがって……!」

 さっき頭突きで倒れたあいつが、俺に襲いかかってくる。

 俺も拳を構えて、クロスカウンターをおみまいする……はずだった。

 げしっ!

 だが、リーチが足りず、まともにヤツのパンチを顔面に食らってしまった。

目から火が出た。
俺の体が吹っ飛ぶ。

倒れた俺に、3人がかりであいつらは、良いように殴る蹴る……。

要するに、俺はあっという間に攻守逆転、ボコボコにされた。

「やめてやめてやめてーーーー!」

 のどか姉さんの叫ぶ声が遠くで聞こえる……。

まだダメだ……まだ気を失っちゃダメだ……。

「小池が裸になったらやめてやるよ……!」

 こ……こいつら……まだ言うか。

 蹴ってきた足を捕まえ、そのまま足首を両脇でフックし、自分の身体を半回転させる。

前にプロレスで見た『どらごんすくりゅー』の真似だ。

「う……うわ!」

 そいつの体が前のめりに倒れた。

「こ……こいつ、なんてやつだ……」

 ひるんで攻撃の手が休んだ隙に、俺は痛む全身を引きずり起こし、もう一回、あいつらの前でとおせんぼのポーズを取る。

「消えろ……どっかいけ……のどか姉さんをいじめるな、泣かすな」

 精一杯恐い顔を作って、あいつらを睨む。

 くう……目の前の景色が歪む……。
立っていても、なんか気持ち悪い。
体もボキボキギシギシいってるし……やべぇなぁ……。

 だけど……だけど、俺が死んでも、のどか姉さんのおっぱいは、こいつらに見せちゃダメだ。

 のどか姉さんのおっぱいを見ていいのは、この俺だけなんだ。

 …………。

 あれ? 俺、なんか変なこと言ってるような……?
頭も……おかしくなったかな……。

 あぁ……目の前が真っ暗になってきた。

 のどか姉さんを守らなきゃ……倒れちゃダメだって、まだ……。

 渾身の力を振り絞って、俺は叫ぶ。

「の……のどか姉さんをいじめるヤツは……許さないぞ……!」

 ………………。







 それから、俺の記憶は飛んでいる。


 俺の記憶が繋がったのは……


「純ちゃん……! 純ちゃん……しっかりして……純……ちゃん……」

 泣きながら俺を見つめるのどか姉さんの顔が、かすんだ視界に見える。

「あっ……純ちゃん……気がついた? 純ちゃん?」

 あれ……なんでのどか姉さん泣いてるんだっけ……?
俺の体、なんでこんなに痛いんだろう……?

「えぐっ……ぐすっ……純ちゃん、無茶しすぎなんさ……」

 ……無茶? なんだっけ?

「もう、消毒液もなくなったし……ぐすっ……絆創膏も全部使っちゃったし……
どうしようどうしようって……純ちゃん、死んじゃったらどうしようって……」



 次第にはっきりしてくる視界。
意識もはっきりしてきて、前後に起こったことも思い出す。

「あ、そうだ! あいつらは? のどか姉さんをいじめてたあいつらは……?」

 ガバッと飛び起きる。

「ぐぇ……」

 全身を襲う激痛に、前のめりになって悶絶する俺……。
メチャクチャカッコ悪い。

 そんなカッコ悪い俺なのに……

「ありがとうね……純ちゃん……」

 ふわ……。

「えっ……」

 のどか姉さんは、俺をそっと抱きしめてくれた……。
 柔らかく大きな胸で、俺の頭を優しく包み込むように抱きしめてくれた。


「いじめっこさんたちね……純ちゃんが叫んだ後、逃げていったよ……」

 甘いミルクみたいな匂いがする……それに、すごく暖かい。

 すごく恥ずかしいはずなのに、不思議と気持ちが落ち着いていく。

 痛みさえ、この柔らかいおっぱいに包まれていると、吹き飛んでいく。

「だから、わたし、裸にもならなくてすんだし、誰にもおっぱい見せなくてすんだよ……」

「よかった……」

「うん……ありがとうね……ありがとうね……純ちゃん……」


 何度も何度もありがとうと繰り返すのどか姉さん。
背中のあたりが、照れくさくて、むずがゆいような嬉しいような変な感じに震えるが、イヤな感覚じゃなかった。

「お礼に、これから、純ちゃんの怪我が治るまで、毎日純ちゃんの家に寄って、看病してあげる!」

 そ、それは恥ずかしいような気がするけど……
この恥ずかしさはいいんだよね? お父さん。

「お、俺も……」

「うん?」

「またあいつらにいじめられたらダメだから、毎日手を繋いで帰ってあげるよ」

「じゅ……純……ちゃん……!」


 ギュッと抱きしめられる俺の体……。
ちょっと苦しくなって、ふにっとした胸から、ゴソゴソと顔だけ出す。

 俺の手も足も絆創膏まみれだった。
きっと顔にも貼られている。

 あのうっしっし君が、俺を見て笑っている。
不気味に見えて仕方なかったあのキャラが、少しだけ可愛く見えた。



終わり